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折々のことば [その他]

 早いですね。日常に戻ってボンヤリ過ごしていると、もう1月も終盤になってしまいました。12月は大雪に2回もおそわれましたが、年末年始は穏やかに過ぎ、その後も全国規模での大雪でテレビでは大騒ぎですが、札幌は比較的静かで、お出かけ(仕事で)もいつもより楽な気がします。
 1月20日にはアメリカの大統領がオバマからトランプに替わり、テレビは大騒ぎです。私には、よく分かりませんが、時代が逆行しているような気のする新大統領の言行です。日本などは相手にもされなくなるような気もします。だからといって、すり寄るのではなく、本当の意味での自主独立の国作りをすべきですし、それに最適の情勢ではないでしょうか?
 

朝日新聞連載『鷲田清一「折々のことば」』
 朝日新聞朝刊一面にもうすでに今日で645回も連載されているコラム記事があります。
その中から、特に特に!心に響いた「ことば」を三つ紹介します。

1.「祓(はら)いのけることはしないで、穢(けが)れたままで救うということ、これを私は愛と言い慈悲というのです。」 鈴木大拙

 救われんとすればこれこれの条件を満たす必要がある、と言うのでなく、そのままでいいと、傷や汚れやあがきごと抱擁すること。それが「慈悲」だと仏教学者は言う。他の人に向かい、何の条件も付すことなく、ただ「いるだけでいい」と言えるかどうか。宗教の信は一にそこに懸かっている。安藤礼二編「折口信夫対話集」から。(鷲田清一)

2.「悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」 正岡子規

 俳人にとって悟りとはいつでも平気で死ねることではなく、生をひたすら愛(め)でることであった。激痛にのたうちまわるなかでも、弟子たちを頻繁に迎えた。薬や麻痺(まひ)剤を服用する一方で、パン、スープ、鶏卵、刺し身、焼き物、飯と三食しっかり食べ、間に牛乳や菓子パンも。死の直前まで床で画譜画帖(がじょう)を楽しみ、絵筆をとり、料理や社会情勢・教育を論じた。「病牀(びょうしょう)六尺」から。(鷲田清一)

3.「「何のために」人間は生きるかという問い……を拒否することが〈生きる〉ということの現実性だというだけです。」 吉本隆明

 「何のために」と問う前に、人はすでに現実の内にどっぷり浸(つ)かっている。全体を見通せず、またたやすくは足を抜けない場所に立っている。人には泣く泣くせざるをえないこと、「なしくずしにずるずると」生きざるをえないこともあり、なぜそうなるのかを問うほうが先だと詩人・思想家は言う。「どこに思想の根拠をおくか」から。(鷲田清一)
 
昨年6月初めの三島市内の小学校の運動会です。
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