So-net無料ブログ作成

明日から「報恩講」 [真宗]

報恩講について(東本願寺ブックレット『報恩講』から)
 宗祖親鸞聖人は、1262(弘長2)年11月28日に、90才のご生涯を終えられました。親鸞聖人をはじめ、念仏の教えに生きられた先達に思いをいたし、その恩徳に感謝し報いるためのお勤めが報恩講です。お念仏の教えを聴聞し、自らの生活を振り返る、1年でもっとも大切な御仏事として、全国各地の寺院・教会をはじめ、ご門徒の家々においても勤められており、、「お取越(おとりこし)」や「お引上(おひきあげ)」の名でも親しまれています。「お取越」とは、ご門徒の家々における報恩講の別称です。親鸞聖人の御命日が巡ってくる前に取り越して勤めることからそう呼ばれており、「お引上」も同様の意味です。
 報恩講は、人々が寄り合い、お斎(おとき)をいただくなど、共にふれ合いつつ聞法(もんぽう)※する場として、今日まで脈々と勤められてきています。
 ※聞法とは:法とは仏法(ぶっぽう)、教えのことです。 聞法とは、“法【を】聞く”というよりも、自身を振り返りながら、またこれからの 歩みを、“法【に】聞く”ということ。【を】と【に】は、ちょっとし た違いのよ うですが、それがとても深くて尊いことだと味わえる。(真宗大谷派東京教区ホームページから)

 明日から三日間にわたって、我がお寺の「報恩講」です。 報恩講については上述のとおりですが、小さいときにおじいちゃんやおばあちゃんに連れられてお参りに行った方もたくさんいらっしゃると思います。真宗寺院最大の仏事(法要)です。今日もご門徒の方や我々僧侶が集まって明日からの準備をしてきました。
 私はお寺に勤めてはや5回目の報恩講、ようやく準備もスムーズに進められるようになりました。

 写真は、札幌ファクトリー前のケーキ屋さんで、店の中にいるお母さんに「僕のケーキも買ってきてよ!」とお願いしている我が家の愛犬「なな」です。お店のご夫婦や通りすがりのお姉さんたちに「かわいい!」と大評判!!でした。思わずパチリ!

factory_mae140826.jpg

 


タグ:報恩講
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

冥土 [真宗]

 小川一乗先生の本に次のような記述を見つけ、おもしろかった?ので紹介します。
 
 『お浄土はいのちのふるさと』 小川一乗著 法蔵館 28ページ
 もう一つ、余計な話しですけれども、NHKでも、災害や事故などで犠牲になられた方の「ご冥福を祈る」と言います。閻魔(えんま)さんのいる冥土(めいど)に行って幸せになれと言っているのです。これは仏教と関係のない中国で作られた俗信としての物語です。いのち終わったら、みんなお浄土へ帰っていくのに、閻魔さんのいる冥土での幸せを願うなんて、あまりにも無知な言い方です。これも言い続けているのだけども、NHKは直しません。ある新聞は直しました。「追悼する」と言ってました。

 ついでに調べてみました。

広辞苑 【冥土/冥途】
仏語。死者の霊魂が迷い行くという暗黒の世界。冥界。黄泉。よみじ。

【冥福】 同じく広辞苑より 「みょうふく」とも読む。
①死後の幸福。使用例「冥福を祈る」
②人の死後の幸福を祈るために仏事を修すること。追善。

 考える葬儀屋さんのブログから

「ご冥福をお祈りいたします」は
「死後の幸福をお祈りいたします」という意味です。
一部で言われている「冥福」という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない、という「葬儀知識」ですが、お葬式に参列される方は気にしなくても良いと思います。しかし、実際遺族に向かって「ご冥福をお祈りいたします」を使用すると、違和感があるはずなので「ご愁傷様でございます」を使う方が無難です。

 最近、テレビやラジオで平然と「天国へ行った」とか、上述のように「ご冥福を祈る」を平気で使っています。他の言葉も含めて、日本語を正しく使ってもらいたいものです。毎日、怒ってます。トシのせいでしょうか。

 写真は「ヘビイチゴ」
 
hebiitigo120514_kitahiro_oomagari.jpg
 

nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

梅原猛の法然 [真宗]

 一気に融けました。本日(4月9日)16時の積雪13㎝。でも今日は寒くて暖房を入れています。

 

 週間朝日百科「仏教を歩く」No.6「法然」の連載『梅原猛の新「授業・仏教」』に、このようなことが書かれていました。私が興味を覚えた部分を要約して紹介します。

 『法然の弟子の親鸞は、愛欲や名利欲に悩んだと自ら語る。それが現代人に親しみを感じさせ、親鸞をして日本の数ある祖師の中でも飛び抜けて人気がある祖師たらしめている。それに対し、完璧な聖人である法然に凡夫の私が容易に近づくことはできないと思ったので、彼について一片の論文も書いていなかった。

 しかし法然について丹念に調べているうちに、私は法然の人生の今まで隠されていた事実を発見し、法然がにわかに私に近しい人となった。それは法然の弟子、源智が書いた『醍醐本』による。

 今までは、法然9歳の時に父時国が夜討ちにあって殺され、それで法然は叔父に預けられ僧になったといわれていたが、醍醐本では9歳ですでに僧になっていて、叔父に連れられて叡山に上る途中、父のところへ寄ったところ、「近く殺されるであろう。殺されたら菩提を弔ってくれ」といわれた。法然が山に上ってまもなく、父の死の知らせが届いた。法然は師叡空に暇を乞うたが、叡空は人一倍学問好きの法然をとどまらせようとして、乞食僧になるにも学問が必要だと説得し、「天台三大部」の書を学ばせたという。以後、名利のためではなくひたすら解脱を求めて仏教研究に耽ったという。

 押領使は今まで言われているような田舎の警察のようなものではなく、悪党と称される武士を取り締まるために、その一人を国が任じた官である。その押領使がしばしば土地争いなどを起こしたので「横領」という言葉は、この押領使の「押領」から出てきたものといわれる。法然の父は明らかに悪党といわれても仕方のない人だった。

 母の里は、秦氏で渡来の民であり、手工業に従事していたとすれば、土着の日本人からは出身と職業の面で二重に差別されていたのではないかと思われる。彼女もまた、差別する側から悪人といわれても仕方がない人間であった。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の歎異抄で語られる親鸞の言葉は「醍醐本」においてほとんどそのまま法然の言葉として記されているが、淸僧の法然がどうしてこのような深い悪の自覚をもったのか、長い間私には謎であったが、法然の父母を考えたとき、その謎が解けるような気がした。母も父殺害のときに惨殺されたと思われるが、そのような哀れな母への思いが、あの人間の平等を強く主張する専修念仏の教えとなったのではないかと私は思う。聖人法然の中にも、やはりわれわれの如き熱い血が流れているのである。』

 写真は長沼町馬追運河の「オナガガモ」です。

onagagamo130404.jpg

 

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

越後の親鸞聖人 [真宗]

 ようやく、あたたかい感じのする毎日になりました。4月3日(水)11時現在、札幌の積雪65㎝です。
 先日、Googleアラームで次のような情報が送られてきました。 
 
親鸞の越後生活に新説 筑波大名誉教授・今井氏が講演 2013年3月19日 上越タイムス

 上越市板倉区米増にある「ゑしんの里記念館」で16日、浄土真宗の宗祖親鸞と恵信尼に関する講演会が開かれた。筑波大名誉教授の今井雅晴氏(日本仏教史)が「親鸞と恵信尼」と題して講演した。歴史ファンや郷土史家、僧りょら約150人が集まった。

 今井氏が同所で講演するのは約一年半ぶり。前回は決着がついていない恵信尼の実家、三善氏の出自について解説している。今回は「過酷な農作業と苦しい生活を強いられた」と一般的に言われている、親鸞の越後配流時代の生活について、当時の朝廷における人間関係から新説を提示した。

 今井氏は親鸞の伯父の1人で「越後権介」という官職についていた日野宗業という人物に着目。宗業は当時朝廷で能吏として知られ、関白九条兼実や後鳥羽上皇から厚く信頼されたという。また、越後は兼実の知行国だったことなどを根拠に「流罪となった親鸞に不自由がないよう、宗業が兼実に頼んで配流地が越後に決まったのでは。越後での生活は穏やかだったはず。つらい思いがあったとすれば、法然のもとを離れて1人で学ぶつらさだ」と述べた。

 これが新説かどうか私には分かりません。というのは、このような話しは以前からあったからです。いずれにせよ、親鸞聖人は自分のことはほとんど書き残していませんので、架空の人物といわれたくらいですから、いろいろな説が出てくるでしょう。
 
 写真は「ナニワズ」。 
 
naniwazu120502_hiraoka.jpg

nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

中陰(ちゅういん) [真宗]

 今日、室蘭からきた義姉によりますと、室蘭は積雪ゼロだそうです。札幌は、なんとまだ、90㎝超です。気温が上がらないので、融けようがありません。ということで、月忌参り(月参り)に出かけても、愚痴ばかりの毎日です。

 月参りの他に、中陰参りもよくあります。中陰参りとはお葬式後、命日から数えて7日ごとに四十九日までお参りに伺うことです。私は、小さい時から7日参りと行ってましたが、中陰参りというのですね。そこで、中陰について調べてみました。

葬儀辞典の解説
 仏教において、死んで次の生を得る間の四十九日間を、中陰と考えます。四十九日を満中陰といいます。=中有(ちゅうう)
百科事典マイペディアの解説
 中有(ちゅうう)とも。仏教で人間その他の衆生が死んでから,次の世に生じるまでの期間をいう。この期間を49日とする説から,この期間中に浮遊している亡霊に,幸福な次生を得させるために,7日ごとに読経,法要を営む風が生じた。

 では、真宗では。今回も銀杏通信からです。

真宗と他宗とでは、中陰(ちゅういん)の受けとめ方、勤め方が違うそうですが、どう違うのですか。
◯宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)は「ただ念仏して、弥陀(みだ)にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり」と端的に、純粋に仏教の精神に立っておられます。
 しかし私どもは世の中にあって、いわばスッキリと割り切れない生活をしています。長年の日本人の慣習(かんしゅう)の流れの中に生きているわけです。
 その私どもの生活の中で、純粋な仏教精神を身につける縁となるものは、決して純粋なものばかりとは限りません。
 親鸞聖人が亡くなられた頃、またその後、親鸞聖人の純粋な正しい教えをいかに多くの人々に聞いていただきたいかと願われた方が多くあったのです。親鸞聖人から数えて三代目の覚如(かくにょ)上人、八代目の蓮如(れんにょ)上人などは命がけで真宗を広めようとされた方です。
 そのころの社会には、既に『十王経(じゅうおうきょう)』という中国で作られた経典に基く追善供養(ついぜんくよう)が習慣化していました。中陰法要の行事は便宜上その習慣によったものです。
 『十王経』による十王信仰(じゅうおうしんこう)とは、生あるものは四つの在り方をするということから始まります。生まれることを生有(しょうう)、生きている間を本有(ほんう)、死ぬことを死有(しう)、それから次の生有にいたる間を中有(ちゅうう)といいます。生物は輪廻(りんね)、転生(てんしょう)して、自業(じごう)によって次の生が決まる。その中有の期間、十王の前を転々して、生前の業(ごう)が裁かれていくのであり、その期間に縁ある生者(せいじゃ)からの追善供養(ついぜんくよう)を受けることによって、よりよい次の生を受けると考えられ、これが中陰の行事となったのです。従って、他宗での仏事は、全てこの追善供養を立て前としています。
 しかしこれは仏教本来の考え方ではありません。真宗では、便宜上この様式を取り入れていますが、追善供養ではないのです。蓮如上人は、この様な中陰行事が行われている状況の中で、どのように念仏の教えを伝え根づかせていくかという課題を荷われたのです。念仏者は、すでに念仏を通して心に浄土を開いているものですから、命終わる時には浄土へ真すぐ帰って行くのであって、四十九日間あちこちと冥土(めいど)を転々とすることはないのです。むしろ輪廻(りんね)を断ち切るのが私達の信心によって獲られる利益(りやく)です。
 便宜上行われる七・七日(なななぬか)の法要を通して、それを信心決定(しんじんけつじょう)の仏縁としていくことが大切です。それには、一にも二にも聞法です。縁を大切にして真実の法に触れ、生きている私達が迷い心を離れてゆくことが、とりもなおさず、亡くなった人への本当の供養ではないでしょうか。(本多惠/教化センター通信 No17)

 今日の写真は「オトギリソウ」です。

otogirisou110530.jpg

 

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

友引 [真宗]

 今夕は、仮通夜のお勤めに行ってきました。昨日亡くなって、今日仮通夜とは大変だなと思って調べたら、明日は友引なのです。ですから、通夜は明日にしたと言うことでしょう。どういう訳か、友引に葬儀を出すのを嫌うものですから、これ幸いと(?)、火葬場が休みなのです。物忌みを信じない人には迷惑ですが、どうしようもありません。ということで、お通夜が何日も続くこととなることがあるようです。

 コトバンクで友引の意味を調べたらたくさんの辞書の記述がありました。そのうち、一つを紹介します。興味のある方はコトバンクで調べてみてください。

友引(結婚式・ブライダル用語集の解説)
 六輝の一つ。「物事に勝敗無し」という意味。朝晩は吉、昼は凶と云われています。元は「共引」と書いて何事も勝敗のつかない日とされていましたが、時代の変化と共に「友引」となりました。文字の連想からこの日に「友を引く」という意味で、結婚式には適しています。しかし一方で、葬式や法事を行うと「誰かがあの世へ引かれてしまう」という迷信が生まれた為、火葬場などはお休みです。
 

 また、真宗の考え方は、前回に引き続き、銀杏通信の記述です。

葬儀は、友引の日を避けるのはなぜですか。 又、中陰(ちゅういん)は三ケ月にわたってはいけませんか。
 葬儀に友引の日を避けるのは、何の根拠もない迷信です。身近かにある国語辞典、百科辞典を見ても「俗信」だとしています。もとは、中国の陰陽道(おんようどう)の思想で、六曜(ろくよう)とか六輝(ろっき)(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)といわれ、これが循環するという考えにもとづいて、吉凶を占ったのです。旧暦の一月一日を先勝、二月一日を友引、三月一日を先負として順に機械的に並べたもので、友引という字そのものに、「友を引く」という意味はありません。中国では、友引は先勝と先負の中間であって「相い引きあって勝負なし」といい、物言に勝負のつかない日としたのです。それが日本に伝えられて「友を引く」という意味に変ったものです。日本に伝えられ暦注(れきちゅう)(暦に記入される事項)としては、きわめて新しく江戸時代中期のことです。しかし今日でも、他の暦注は除いても六曜を記載しない暦は需要がないといわれるほど普及してしまっています。
 誕生と結婚と葬儀は人生の大きな出来事です。人間にとって誕生日と死ぬ日を選べないのに、なぜ結婚式と葬儀の日を選ぶのでしょうか。
 儀式の日程を選ぶのは結構ですが、その動機と根拠が問題です。「友引」は友を引き、死人が続くから葬儀を避けるとか、友引の日にするなら人形を身がわりに入れるとかは、全くナンセンスです。日を選ぶ動機は、日に良い日と悪い日とがあると考える実体観念に振り回されて、自己の確かな生の根拠(浄土)を失っている、存在そのものの不安を露わしているのでしょう。
 縁起が悪いといいますが、縁起とは仏教語で、正しい道理のことをいうのです。縁起がわかれば、正しい道理(私達ではお念仏の道理)に立脚して、安心して自由に明るく、自信を持って生きることが出来るのです。
 中陰が三ケ月にわたると「四十九が三月」で、「始終(しじゅう)(いつも)苦労(くろう)が身(み)につく」というゴロ合せから、避けた方がよいとなったのです。これも全くナンセンスな発想で、根拠のない迷いごとです。
 要は、その人が何を根拠として生きているかということです。それが、日を選ぶ根拠になります。真実の宗教は、根拠のない人間の勝手な考え(妄見(もうけん))に執われている迷いのあり方に気づかしめ、それを破ることによって真実の人間の主体性を取りもどさしめるものです。愚かな迷信に惑わされることなく、正しい根拠(教え)に拠って自信をもって生きたいものです。
(本多惠/教化センター通信)(真宗大谷派大阪教区銀杏通信)
 

 門徒は(浄土真宗の信者は)、「もの知らず」と言われます。「門徒もの知らず」という言葉は誰もが知っていると思います。この意味はいろいろ説があるようですが、一番の説は「門徒物忌み知らず」と言うことです。上の解説がそのことを明確に示してくれています。

 写真は「ヤエヤマブキ」。

yaeyamabuki_hidamari110530.jpg

 

 

 


nice!(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

彼岸 [真宗]

 札幌のただ今の積雪、96㎝、やっと1mを下回りました。ということで、元気に檀家廻りをしています。

 17日~23日まで、春の彼岸です。我がお寺では、明日(20日)と明後日(21日)の二日間、彼岸会の法要が執り行われます。ということで、真宗では「お彼岸」をどのように見ているか?調べてみました。

問い 彼岸はどういう意味があるのですか。また真宗ではお彼岸にどのようにすればよろしいか。
答え 春分と秋分の日を中心に一週間、春と秋の「お彼岸」が来ます。この期間に仏教行事として各寺々で「彼岸会」(ひがんえ)が持たれますが、これは日本独自の麗しい習慣であります。
  「彼岸」とは文字通り「彼の岸」(かのきし)という意味で、私達が生きている娑婆(しゃば)を「此岸」(しがん)というのに対して、覚りの世界「浄土」をいったものです。仏教の元の言葉でいえば「波羅密」(はらみつ)といい、差別動乱の迷いの此岸から、一如平等の覚りの彼岸に到ったこと、つまり仏道を成就したという意味で「到彼岸」(とうひがん)といわれます。
 真宗では「西方浄土」といって、西方を大切にします。「西」は太陽の沈む方向であり、一日の営みが終わって万物が安らかに満足して帰ってゆく場所、即ち全ての存在が最後に帰ってゆく本来の世界を表しています。
 春分と秋分の日は、昼と夜の長さが同じで、太陽が真東から出て真西に沈みます。中国の浄土教では太陽が真西に沈むところから、日没の所にアミダ仏の浄土を想って落日を拝んだと伝えられます。四天王寺では彼岸会に落日を拝む行事として受けつがれて来ています。
 日本における資料としては「日本後紀」に、西暦806年の春分の日に経典を読ませたという記録があるのが最初です。以来、彼岸に仏教行事を行うようになってきました。
 真宗では蓮如上人が五十九歳の時、吉崎で彼岸会を勤められた時の「お文」(おふみ)が伝えられています。その「お文」では、春秋の彼岸は「暑からず寒からず、仏法修行のよき時節」だといわれています。
 日々聞法、念仏の生活が真宗門徒の生活態度でありますが、つい日頃は日常の忙しさに追われ、惰性に流されて大切な自分を見失って空しく過ごしてしまっている私達にとって、春秋の時節の折り目、暑からず寒からずのこの彼岸の時節にこそ、日頃の生き様をふりかえり教えに耳を傾けて、本来の自分を取りもどすという「聞法修行のよき時節」であります。
 お彼岸には、ただ墓参りやお内仏のおかざりだけに終わらず、進んでお寺の法座に足を運び聞法に勤(いそ)しんでいただきたいものです。聞法を通してこそ、彼岸なる浄土の光に照らされて此岸なる私の迷いの生き様に気づかされ、真実なるものに目を開かしていただくという真に意義あるお彼岸となるわけであります。
 (本多惠/教化センター通信 No.39) 真宗大谷派大阪教区「銀杏通信」問いと答えから

 真宗大谷派(東本願寺)大阪教区の「銀杏通信」は勉強になるホームページで、私はよく活用させていただいています。興味のある方は「銀杏通信」で検索するとすぐ分かります。ぜひ東本願寺のホームページと併せて覗いてみてください。

 今日の写真は、「シロバナノエンレイソウ」です。

sirobanaenreisou_hiraoka110518.jpg

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

浄土に帰る(2) [真宗]

 「還る」を「帰る」に変更しました。いろいろ勉強しているうちに「帰る」の方が分かりやすいなと思ったものですから。

 さて、札幌はようやく雪解けの季節に入りました。ただ今(3月18日16時現在)積雪103㎝です。歩道は、歩きづらくて,散歩に出かけるとあちこちが痛くなりかつ疲れ切ってしまいます。 

 前回の「浄土に帰る」の続きです。今日は、あるお寺のホームページにあったそのお寺のご住職の法話の一部です。

人生を、最後の一歩まで歩き続けるには、帰って行く世界があるという、こころの支えが必要なのではないでしょうか。そこで、「帰る浄土」という話をさせて頂こうと思うわけです。
 私たちには、帰る世界がある。「浄土」がある。私たちは、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。そう教えているのが、浄土の教えです。
「わたし」も「あなた」もない。上も下もない。善も悪もない。生も死もない。区別されるものが何もないから、その世界を「空」(くう)といい、二つに分けられるものが何もないから、「一如」(いちにょ)というのです。苦しみがないから「極楽」といい、煩悩がないから「浄土」というのです。
「おじいちゃんは、お星様になった」、「おばあちゃんは、天国へ行った」。よく聞く言葉ですが、私たち門徒は、「浄土に帰る」と言います。この名前の付けられない世界を「浄土」と呼ぶのが、私たち門徒の証しなのです。
 親鸞聖人が求められた「生死(しょうじ)を超える道」というのは、この「生も死もない」世界に至る道のこと、「浄土」に至る道のことです。その「浄土に至る道」が、お念仏です。
 ですが、まずは、自分が暗闇のなかにいるということと、光の世界があるということを知らねばなりません。「煩悩」の暗闇の外には、光の「浄土」があるのです。まず、そのことを知らねばなりません。

 今日の写真は「オオバナノエンレイソウ」です。

oobananoenreisou_hiraoka110518.jpg

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

浄土に還る [真宗]

 もう週末です。このブログに投稿してからもう、一週間もたってしまいました。この週は、まったくもって久しぶりにホームページをいじったものですから、ブログの方は忘れていました。おまけに、買ってまだ、二年しかたたないのに、デスクトップパソコンのハードが調子悪いのです。使っている最中に、突然勝手にダウンして再起動するを繰り返す、起動最中にあのブルーの画面がでて、ハードのチェックをするよ!って、でる。ソフトはWindowsの自己修復で問題なし、またまたハードのようです。これで3,4台続けてハードが原因でパソコンがダメになってしまいそうです。ただ、昨日今日は静かですので、こちらも静かに使ってます。

 数日前ラジオで、歌詞だったと思うのですが(なにせ深夜でしたので)、「天に還った・・・・・・」という言葉を聞きました。その時一瞬、アレ! キリスト教でも死んだことを還ったというんだと思ったものですから、枕元にいつも置いてあるメモ帳に「天に還った」と書いておきました。
 その程度のことで、後でネットでこの言葉を調べてみました。確かに、天に還ったという言葉は使うようです。キリスト教もたくさんの分派があるからどこでそう言っているのかは分かりませんし、どうしてそう言うかも見つけることができませんでした。実は、仏教でも、同様の言い方で「浄土に還る」と言います。これも、なかなか難しい話しで、私には簡単には説明できないのですが、尊敬する小川一乗さんが次のように説明されていると言うことをネットで見つけました。 

死んだらどうなる〔浄土に還る〕 ――小川一乗『仏教からみた「後生の一大事」』27頁~――

そのように大いなる命のふるさとに私たちは帰らせてもらう。それをちょっと理屈的に言うと、ゼロに戻るということなのです。それを「入滅」といいます。お釈迦さまが亡くなったことを、「お釈迦さまは死んだ」とは絶対に言いません。「お釈迦さまが入滅された」といいます。滅というのはゼロです。もとの世界に戻られた。だから、お釈迦さまが亡くなったことを、死んだというのではなく、入滅されたということになるのです。それを涅槃というのです。涅槃ということは滅ということです。消滅という意味です。人間として一瞬一瞬のこのただいまの生死のありようが消滅して、もとに戻る。滅入るということが、無量寿、無量なる命の世界に帰らせてもらうということです。それが浄土に還る、還浄ということです。 

 今度、この本を買い、また、いろいろ勉強させていただきます。

 札幌は例年の2倍以上の積雪だそうで、外界は最悪の状態です。本当に雪は無くなるのだろうか?って、心配しています。と、言うことで、今回も昨年の春の花を掲載します。「ネコノメソウ」です。平岡公園の目立たないところに、毎年咲いています。

nekonomesou_hiraoka110518.jpg

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

真宗の永代経 [真宗]

 今日(3月8日)、ホクレンから市民農園の申込書が届きました。今年一番春を感じた出来事でした。とはいえ、外はまだまだ1メートルを超える積雪に埋まっています。今年は春はまだまだ遠い先のようです。

 先日書いた「永代経」のことがすっきりしないので、追加という形で書いてみました。

●浄土真宗における「永代経」とは
 浄土真宗における「永代経」とは「永代読経(えいだいどっきょう)」の略であり、「未来永代、末永く釋尊(しゃくそん、お釈迦様のこと)の説かれた真実の教えである経が読み続けられ、その経が聞き続けられ、その教えに救済され続けられる」ことを願われた法要という意味です。多くは春と秋の彼岸またはその前後に勤められるようです。
 また、先祖をご縁にするというかたちをとりますので、“永代経は先祖への永代の追善供養”という認識が強いですが、浄土真宗における「永代経」は、“先祖を御縁として私がお経(すなわちお釈迦様の教え)をいただき、未来永代に伝える”ということが重要になります。

 とは、後から付けた理屈で、本来親鸞聖人の教えの中にはないものです。苦しい説明ですが、僧侶も門徒も希望する法要とあればこれまた、絶対ダメとも言えない。
 あるお寺のホームページに、次のように書いてありました。私も、理屈づけは上のとおりとしても、何故、浄土真宗でということについては、このご意見に賛同です。
 『この「永代経法要」ですが、もともと浄土真宗で勤まっていた法要ではありません。「永代経」の起源について確かな資料はありませんが、浄土真宗本願寺派(西)の第十四代寂如(じゃくにょ)上人(1662~1725)の頃に勤まってたという記録が、本願寺系統における「永代経」の初見だそうです。
 「真宗教団は報恩講の教団」と呼ばれますように、親鸞(しんらん)聖人の御命日である〝28日〟に門徒(もんと)が集まり、親鸞聖人の教えを聞く集いをもち、それが教団化したと言われます。だから本来真宗寺院は、月命日である〝28日講〟と祥月命日である〝11月28日〟を最も深重なお勤めとする「報恩講」を勤めていただけなんでしょうね。
 そんな真宗教団がなぜ他宗派のように、しかも追善供養と誤解されかねない形態の「永代(読)経」というお勤めをはじめたのでしょうか?。これは私見ですが、やはり経済的な理由が大きいと推測しています。あと、他宗派が勤める〝永代供養の法要〟というものに追従したとも考えられます。』

 昨年の春の野花です。「スミレ」です。

sumire110509.jpg

 


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。